Ooh La La




あたしは小春が嫌いな夜空を星といっしょに溶かしたような、黒くて濃いブラックコーヒーが好きで、小春はあたしが嫌いなストロベリーがいっぱいのった、甘ったるいピンクのミルクシェイクが好きであたしは小春が大好きなんだけど、小春もあたしを好きで、でもそれは一緒のベッドで寝るとかではなくて、あたしはそのまま白いシーツごと小春を抱きしめちゃいたいけれど...........ていうか、それよりもどのカフェに入っても、店員さんがコーヒーとミルクシェイクを逆に置いてくれるんだ。
                  
こんなあたし達は性別を取っ替えた方が上手くいくのかもしれない。そしたら「失礼やわー」とコーヒーをあたしの方に回してくれる小春のちょっとはにかんだ笑顔が、あたしだけのものになるかもしれないじゃない?男の子のあたしは、頬杖をついてミルクシェイクを飲んじゃう小春を大事にすると思うんだ。

とっても、とってもね。







ーこれそっち置けるスペースあるー?」

「うん、まだここ空いてんでー」
                  
たこ焼き屋台の暖簾をくぐって、よたよたとスピーカーを持った謙也がこっちにやってきた。急いで回りのチラシやら、鋏やらの作業道具をどかして、スペースを作るとドカッと謙也はそこにでかい音響スピーカーを置いて、ふーと肘をつき額の汗を拭いた。

「すごいなー、本格的やん!」

「せやでー、バンドやってるダチに借りたんやー、これでバンバン宣伝やら音楽流して客集めるでー」

「目指せ、売り上げ1位やな」

「おう、財前もなんや自作のCD持ってくるゆうて、はりきっとった」

「そうなん?最近ようこもってるなー思ってんけど、せやったんや」

「作るんはありがたいけど、あいつがいつも聴いとる小難しい系は勘弁ってゆうたら嫌な顔しとった」

「ハハハ」             

放課後の校内を楽しそうに作業する生徒の熱気が包み、各所からふざけたように笑う声が聞こえてくる。時々他の屋台からガッシャーンという、何かを誤って倒す音も聞こえ、その度に「ボケるんは本番にしとけー!」という焦った怒号も聞こえてくる。見上げた空にうちのテニス部のたこ焼き暖簾が風になびいて、その中心でにんまりとタコさんの絵が笑っている。金ちゃんの「めっちゃうまいでー」というへたくそな字入りで。

文化祭まであと二日。
気合いは最高潮だ。


                  
「ちょっとー謙也ちゃん、ひどいわーこんな重いのうち1人に持たすなんてー」
                  
「ああ、すまん、小・・」と言いかけた謙也が手伝おうとしたけれど、小春が先ほどの謙也よりも、全然軽そうにもう一つのでかいスピーカーを持って、暖簾をくぐってきた。余裕でそれをあたしの横にトンっと置いて「いけずやわー、なあ?」と言いながら、肩をすくめて同意を求める。ふふとあたしは笑い、伸ばそうとした手をどこにやって良いかわからずに、謙也は右往左往した。あたしが手にしている布地を見た小春が嬌声を上げる。

「きゃーそれうちの屋台の旗ー?」
                  
「うん、まだ塗り途中やけどこんな感じになりそう、どう?小春?」

「めっちゃかわいいー、色使いもバッチリやなー」
                  
「へへ、そう言ってもらえると嬉しいなあ」

                  
小春に褒められて、あたしは照れながら自分が作っている屋台用の旗を眺めた。爽やかな黄緑のふちどりにピンクの文字。両方ともそう言えば小春が好きな色なんだけど、何となくその色を選んだあたしは、やっぱり小春の喜ぶ顔を心の底で期待していたのかもしれない。

「盛り上がってるとこ悪いけどまだ運ぶもんあんねん、小春」

「ええー?」
                  
「行くでー」
                  
ぶーぶー言いながらもしぶしぶ謙也の後をついていく小春に「頑張ってー」と精一杯の応援をして、あたしは二人を見送った。けどまだ半分も終わっていない旗塗り作業を見て、そうだ、頑張らなきゃ行けないのはあたしの方なのだと思い当たる。白石と千歳は買い出しに遠くまで行っているし、銀さんは知り合いのたこ焼き屋さんまで、プレートを借りに小石川副部長を連れて奔走中。財前は流す曲作りに夢中だし、一氏は美味しいたこ焼きの研究に余念がない。金ちゃんは.........金ちゃんは多分校内のどこかにいる。他の部員もそれぞれ文化祭に向けて頑張っていて、あたしもなんとか早く旗作りを終わらせないと、と自分自身に気合いを入れた。

けれど.........人間焦れば焦るほど物事はうまく行かないもので..........不幸というのはいつだって今起きるな、と思っている人間の上に笑いながらふりかかってくるもので。注意一秒、怪我一生。

立ち上がったあたしの足が絵筆を入れたバケツを転がすのとあたしが「あああああ」という悲鳴を上げたのは同時だった。みるみる布地に染み込んでゆく黒いしみを、数秒間呆然とながめたあたしは、すぐに我にかえり、慌てて校舎内の手洗い場に塗り途中の旗をもっていき、蛇口を全開にして黒く変色した部分をつけた。じーと水面を見つめていると、ひたひたと水の中でゆれる黒は心持ち薄くなったが、やはり完全には消えてくれない。こすれば余計に広がってしまいそうだ。

「どーしよ.........」

数分前の不注意な自分を叱咤したい、ぱちーんと思いっきり頭をはたいてやりたい.、けれど、何よりも、怒りを通り越してなんだか悲しい。せっかく小春がかわいいと気に入ってくれたのに。水にぬれた旗を握りしめて、溜息すら出ずにあたしは天井を見上げた。ふと脳裏に一条の光がさし、もしかしたらと思ったあたしは廊下を回り、急いで目的の場所まで走った。


ガラッ!と開けた職員室の席に探していた姿はなかった。雑然と物がころがる机の上には、タバコの買い置きと、今日の日付の競馬新聞がおかれており、そこにつけられた予想マークはなぜその席の主がいないのかを説明するのには充分だった。

「..............オサムちゃん」

なんだかんだで変な知恵袋的な事を知っていて、最後の最後に頼れる人物が不在だという事がわかったあたしは、がっくりと肩を落とし、とぼとぼとそのまま人気の少ない教室まで戻った。ごちゃごちゃとした屋台内から、絵の具類を教室にうつし、四苦八苦しながらなんとか、黒くなった部分を消そうとピンク色を上塗りしてみるけれど、それは黒を隠してくれずに混ざるばかりで、重ねれば重ねるほど布地に変な色が加わるだけだった。焦るだけ思い通りに色はのってくれず、刻一刻と窓の外の景色が暗さを増す。外から聞こえていた楽しそうな生徒の声も一人二人と消えて行き、ついに途切れ、景色も真っ暗になった。

しーんとした教室内には黒く汚れた布地と、絵の具が散乱し、それを前にしたあたしはだんだんと喉奥が痛くなるような感覚を覚え、今にも泣き出してしまいそうだった。こみ上げてくる熱さに耐えきれずに手で顔をぬぐおうとしたら、パチンと教室内に明かりがつき、驚いたような声が教室内に響き渡る。

「どーしたん!?ちゃん?しょげた顔してー!」
                  
「...........小春」
                  
「なんかあったん!?大丈夫?」
                  
「う、ううん..........あ、いや、でも、あったかも..............」
                  
「手が絵の具で真っ黒やでー?」
                  
心配そうにあたしの横に駆けた来た小春は、机の上の布地の惨状を目の当たりにして「あらま」と目を丸くさせた。

「もしかして今までずっと塗っとったん?」

..........うん、バケツの水こぼしちゃって変な色が混ざっちゃって.......直そうとしたんやけど」
                  
ちゃん..............
                  
「ごめん..............せっかく小春が良い色やって褒めてくれたのに」
                 
........................
              
小春は黙ってあたしをみつめ、そして感極まった様にがばっとあたしを抱きしめた。ぎゅううと腕が背中に回り、ポンポンと手が頭を撫で、優しい声があたしの上に落ちる。

                  
「もうあんたは頑張ったんやから、今日はもうおしまいにしよ?な?」
             
.........でも」
                  
「明日うちも手伝ったげる、二人でやればすぐに終わるやん?」
                  
「小春...........
                  
「さーさ、その手と顔をキレイにふいて、一緒に帰ろう」
                  
..............うん」
                  
「ありがとう、小春」と消え入りそうな声で言ったあたしを見て、小春は優しくにこっと笑い、汚れた布地をたたんで散乱した道具類を集めだした。「帰りにコンビニに寄ってなんか暖かいもん食べようなー?」両手に軽々と道具類をかついで、あたしの前を歩きながら小春が言う。「うん」とその後ろを歩きながら答えたあたしは、心の中でもう一度「ありがとう、小春」とつぶやいた。

帰りに寄ったコンビニで食べた肉まんは美味しかった。小春は半分にわった肉まんの大きい方をあたしにくれた。それを食べながら抱きしめてくれた小春の腕が、意外にとても広かった事を思い出してあたしは少し切なくなった。けれど横で笑う小春の笑顔と、一口ずつ頬張るたびに体の奥からぽかぽかしてくる暖かさが、それを消した。すうと夜の空気を吸い込み、気分を一新して明日の準備にそなえようと、あたしは心にちかった。



                 
次の日、あたしは教室で応答のない携帯を見つめ、しばし溜息をついてから絵筆をとった。約束した時間を過ぎても小春は来ず、送ったメールにも返信はなく、あたしは心配しながら昨日の黒い痕に筆をのせる。もう充分乾いた布地にすーとキレイに色がのり、なんとか痕も目立たなくなった。それに気を良くしながらも心の片隅でいつまでも来ない小春の姿がちらつく。あともうちょっとしたら..........もしかしたら何か急に用事が.........具合が悪くなったのか...........色んな想像が浮かんで来て、その中でも一番ひどいやつがあたしの心の中心で意地悪にささやく。約束なんて忘れちゃったんだろうなって、その想像がよぎるたびにいやいやと首をふり、小春がそんな薄情ではない事をあたしはよく知っていると自分を叱咤する。昨日抱きしめてくれた腕の暖かさと強さを、あたしは信じなければいけないと。
                  
色塗りもほぼ終わり、もうあと少しで完成に近づくという頃、廊下から歩いてくる足音が聞こえたあたしは、思わず席を立ち上がった。同時にガラッと開いた扉に、驚いた風にその人物は向こう側で立ち尽くした。


「光...........

「えーと、自作のCD出来たんで渡そうとしたんすけど、屋台の方に行ってみたら誰もおらんくて」

「うん」

「そんで3年の教室来てみたんすけど.......

「えっと、確か買い出しの荷物が多くて謙也も白石達に借り出されてたと思う、金ちゃんは一氏が焼いたたこ焼きの試作を食べてると思うし、小春は........小春はどこにおるのかわからん」

それを聞いた光は怪訝な顔をして眉をしかめた。

「小春先輩なら先ほど「ユウくんに呼ばれた〜」いうて行きましたよ?」
                  
「え?」
                  
「CD渡す前にどこかそそくさと消えはりましたわ」

                  
がーんと脳内にショックの鐘が鳴り響く。なんだそれ?やっぱり約束なんて忘れちゃってたの?小春?ぐらぐらと足下から地面が揺らいでゆくような感覚を覚えたけれど、あたしはなんとか平静を装って光からCDを受け取って笑った。
                  
「ありがとう、光、聴くの楽しみにしてる........明日頑張ろうな」
                  
「うぃーす」
                  
そう言って、飄々と立ち去る光を見送ってから、あたしはCDをつぶれないように鞄にしまいこみ、そしてだらーんと机に突っ伏してしまった。情けないような、泣きたいような、そしてどうしようもなさに打ち負かされそうな気持ち。悲しみを通り越してもうなんていうか、灰。目の端で完成間近の旗があたしと同じくだらーんと伸びている。明日は文化祭、それまでにこれだけは完成させないと........脳裏にそれしか思い浮かばず、あたしはのろのろと起き上がった。



                  
「よしっと」
                  
一本の棒に通した旗を屋台横に立てかけて、ぐるりとあたしは8割方完成した屋台の外観をながめた。相変わらず他の部員は買い出しに忙しいのか誰もいない。そのまま買い出しに合流するか、それとも調理室にいる一氏達の所へ行くか.........逡巡したけれど、今はなんとなく小春に会うのが気まずくて、あたしは携帯を取り出し白石の番号を押した。とぼとぼと正門を出て、のどの渇きを覚えたあたしは、自販機から買ったコーヒーを飲みながら、面倒くさい所にいるらしい白石から送られてくるはずの現在地を記したメールを待っていた。「なんやMAP送られへんねんけど?電波悪いとこおるー?」雑音まじりに途切れたコール、ぶんぶんと携帯を上空にかかげて近くに見つけた公園まで移動する。座ったベンチはひんやりとしていて今飲んでいる暖かさすらも、瞬時にして凍らせてしまいそうだった。

「寒いなー」
                  
ぐびりと一口コーヒーを飲む。
                  
「昨日とは全然ちがうなー」
                  
もう一口コーヒーを飲み込む。
                  
「はあ..........
                  
どうしても、どうしても、あたしのままじゃ駄目なんだろうなー。男の子を好きな男の子を手に入れる為には、その子が好きな“男の子”じゃないと駄目で、さらに細かく説明的になるならばその子が“好きな男の子”じゃないと駄目な訳で、ていうかそれってまんま一氏で、なんだろ?これ?ハードルが高すぎる、頭痛い、こんがらがってきた。それじゃ海外ドラマみたいにゲイの人への恋が叶わなくても、その人の子供を生んだりしてあげるという究極の選択もある。代理母とかいうやつだ、小春の子供かー、頭良いんだろうなあ。あーでも、もしその子もゲイだったら、いつかまた男の子を好きになって、あたしなんか置いてどっか行っちゃうんだわ。この恋は地獄の無限ループなんだわ。

そこまで悶々と考えて悲しくなり、ぐずっと鼻をすすったあたしの上に気づかぬうちに数人の黒い影が落ちていた。
                  
「ねーちゃん、一人なーん?」

「どうしたん?寂しそうな顔してー?」

「付き合うたろかー?」

ゲ、と思いながら顔を上げれば、いかにもなガラの悪そうな高校生ぐらいだと思われる男3人組が、へらへらとあたしを囲んで笑いかけていた。

「いえ、何でもないです........

そう言って、視線を合わせずに立ち上がろうとしたあたしを押さえ込んで、「まあ、えーやん、ちょーお話しようやあ」と一番軽薄そうなのが、少し低めのドス声を聞かせて顔を近づけてくる、掴まれた肩が痛い。辺りを見回しても夕暮れをすぎた公園内に人気はなく、鬱蒼とした木々がその向こう側の民家を覆い隠していた。だんだんと近づいてくる煙草臭い息と、肩に入る嫌に強い力に「これは本気でやばい」と感じたあたしは、とっさに手に持っていたコーヒーの缶の中身をそいつらにぶちまけた。

「わっ、ぷ」
                  
「ちょ、この女」
                  
「待てー、コラァ」

鞄を引っ掴んで一目散に公園の出口に向かって逃げながら、あたしはポケットの中の携帯を探り当てようと必死になった。数分前にMAPを送るのを断念した白石が、こちらに向かうという返信があった。もしかしたら今近くまで来ているかもしれない。背後の追いかける足音がどんどん近づいてくる。焦れば焦るほどうまく携帯を操作出来ない、さらに一段と足音と罵声が近づく、もうすぐそこ、やばい、追いつかれる、悲鳴を上げたいけれど、引きつった喉奥から音が出てくれる気配がしない、髪の毛を空ぶった腕が数本つかみかける、すぐ耳の後ろで勝ち誇ったような笑い声が聞こえた。

ああ、もしこんな時白石だったらこんな奴ら、容赦なくこてんぱんにのしてくれるんだろうなあ、謙也、謙也も多分果敢に向かって行きそうだ、千歳は言うまでもなく、銀さんなんて波動球一発で終わりにするだろうし、一氏も光も秒殺だ。ああ、めちゃくちゃ金ちゃんのあのまぶしい笑顔に会いたい。小石川副部長、すみません、明日の文化祭、屋台部員が一人欠けるかもしれません、たこ焼き焼けません。

ぐっと肩に手が食い込む感触を感じる。

痛いぐらいに涙があふれそうになり、脳裏から部員の皆が消え、1人の顔だけが強く浮かんだ。そうだ、あたしが誰よりも会って話したい人、今助けてほしい人、最後に会ってせめてお別れを言いたい人、あの、あの暖かい人っ.........



「こ........こ................小春ーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」



叫んだあたしの顔の横をさっと影がよぎった。それと同時に肩を掴んでいた嫌な手の重みが、一瞬にして消えた。地面に半ば倒れる様にへたりこみ、振り返ったあたしの目に信じられないような光景が飛び込んで来た。

「あんた達何してんのーーーー!!!!」

いつものお得意の可愛らしい声も表情もかなぐり捨てて、小春が三人の男相手に真っ向から立ち向かっていた。飛んでくる拳をかわし、一人を投げては捨て、その背後のもう一人に回し蹴りをくらわせ、三人目のみぞおちに強烈な右ストレートを決めたかと思うと、先の二人の上にそいつを乱暴に投げ飛ばした。ぐぅと情けない声を上げた男達は、そのまま音も無く地面に這いつくばった。一瞬すぎるうちに片がついた勝負をあたしは呆然としながら眺めていた。


ちゃん!」

「小春っ!!」

「すごい、小春、強いん...........」と言いかけたあたしに勢いよく飛びついて、有無も言わさずに小春が抱きしめた。

「あんたを探しに来たら、すんごい悲鳴が聞こえてきて心臓止まるかと思ったわ!」

「・・・え?小春、探しにって?」
                   
「なんでこんな危ない事になってんのー!?」
                   
事態が上手く飲み込めずに、教室から白石達に合流しようとした経緯を説明すると、小春は「あら?変やね?」と首をかしげた。
                   
「うちユウくんが生タコで腹壊して、ごめんやけど病院付き添うから今日は遅れるってメールしたで?」
                   
「へ?」
                   
「そんで帰ってきたら光が「なんや先輩、様子おかしかったですよー?」なんて言うから、慌ててあんたの後を追ってみれば............」
                   
そう言って端っこでのびている男達を一睨みして、携帯を取り出した小春は「あら、やだ」と口に手をあて、頬を赤らめた。
                   
「間違って全部銀さんに送ってたわ」
                   
「ええ?」
                   
慌てて覗き込むと受信欄に「いかがしはった?」「旗と生タコとユウジが壊れたとは何の事や?」「ユウジが病院へゆくいうんはわかるがタコは」「そもそも六道の輪廻においてタコというのは」という以下略な返信がびっしり返って来ていた。

「.............なんかすごい混乱させてもうたみたいやな」
                   
「..........うん」
                   
困ったなー、どないしよーと笑う小春の笑顔を見てたら、先ほどの緊張から開放されたあたしは、安堵感と共に体から力が抜けてゆくの感じた、あれよあれよと止める間もなく、堪えきれないような熱さが目から溢れ出す。
                   
「あらあら、大丈夫?怖かったんやねー」
                   
「........うん」
                   
小春がまたぎゅううとあたしを抱きしめて頭を撫でた。
                   
「大丈夫やでー、もう少ししたら皆も帰ってくるしー」
                   
........うん」
                   
「よしよし」
                   
「小春」
                   
「何ー?」
                   
「あたしさー」
                   
「んー?」
                   
「小春の事好きやねん」
                   
「うちもー」
                   
「ううん、そういうんやなくて..........................好きやねん」

                   
思いを込めてありったけの勇気で言ったら、小春が少し息を止めて、背中に回した手を緩めるのがわかった。それを感じて、悲しくなったあたしは身をよじって離れようとしたけれど、次の瞬間に、小春が逆に力を込めて抱きしめて来たもんだから、あたしはびっくりして体を強ばらせた。それは優しいけれど、強い力で、いつもとは違うなんていうか女の子をちゃんと抱きしめるような、包みこむような“男の子”の力だった。

                   
ちゃん」
                   
「.........うん」
                   
「今日はごめんな、旗一緒に塗ってあげれへんくて」
                   
........うん」
                   
「明日、焼いたタコ焼き、一番最初にちゃんに食べさせたげる」
                   
........うん」
                   
「今日みたいになんかあったら、いつでもうちが駆けつけたげる」
                   
........うん」
                   
ちゃん」
                   
........うん」
                   
「うち、ちゃんとは一緒のベッドで寝てあげられへんけど、 ちゃんの事は、うちが絶対守るから」
                   
................................
うん」

                   
消え入りそうな声でつぶやいたあたしを抱きしめる背中の手が、だんだんと男の子から女の子へと代わり、いつもの小春の優しい抱きしめ方に戻ってゆく。夢から覚めるように、すうと息をはいた、背中から伝わった暖かさが、心までじょじょに軽くさせてゆく。


そして、あたしは笑ってその手を手放した





二人で学校近くまで戻る途中、悪戯っぽくポケットから缶を取り出して小春が言う。

「あんたのご機嫌取ろうとこんなもんまで買って来てんでー?」

「あっ、ブラックコーヒー!」

「ふふ、うちにはこっちやけど」

笑ってストロベリー味のミルクシェイクを開けた小春は、とても嬉しそうにそれを飲んで、空を見上げて「やっぱこれやわー」と笑った。夕暮れの空が小春の顔をピンク色の缶と一緒に赤く染め、それを見たあたしは眩しげに目を細めた。

あたし達はこのままで良いのかもしれない。
ブラックコーヒーが好きな女の子とストロベリーミルクシェイクが好きな男の子のままで。今あたしの横を歩く小春に「手をつなごう」と言えば、多分明るく「えーよ」と笑ってくれる。


この柔らかい距離のままで。


プシュッと空けた缶の音が小気味よく空に響く。ごくごくと苦いコーヒーを飲むあたしを、小春はやーねと眉をしかめて見ている。あたしはそれに笑って「やっぱこれやわー」と少しだけ小春を真似て言ってみた。









091130